成宮寛貴、12年ぶり舞台主演。宮本亞門と25年ぶりタッグで『サド侯爵夫人』

三島由紀夫の『サド侯爵夫人』がまた上演されるんだね。言葉が美しいけど難しそうなイメージがあるけど、今回はどんな舞台になるのかな?

そうなんだよ!人間の本質を言葉だけで描く、三島文学の真骨頂だからね。新しい演出で、あの世界観がどう表現されるか、すごく楽しみ!

観劇前に知っておきたいんだけど、今回の演出で特に注目すべき解釈や、俳優たちの役作りの見どころについて教えてもらえる?

本作の核心は、論理と感情がぶつかり合う台詞の応酬です。演出家が俳優の肉体を通し、三島の美学をどう現代に蘇らせるかが批評の焦点となります。

三島由紀夫の傑作戯曲『サド侯爵夫人』が、新たな演出で上演されることが決定した。背徳的な夫の帰りを待ち続ける妻ルネの「貞淑」とは何かを、6人の女性たちの会話劇を通して鋭く問いかける本作。美しい言葉で人間の深淵に迫るこの物語が、現代の舞台でいかにして新たな生命を吹き込まれるのか、大きな注目が集まっている。

目次

言葉で構築された美と論理の世界――『サド侯爵夫人』の構造分析

言葉で構築された美と論理の世界――『サド侯爵夫人』の構造分析

登場人物の対立軸から読み解く「貞淑」の多義性

物語の推進力は、主人公ルネ(サド侯爵夫人)と母親モントルイユ夫人の思想的対立にある。夫の悪徳さえも受け入れ神の試練と捉えるルネの「至高の貞淑」に対し、母は社会的秩序と道徳を盾にそれを否定する。この二人の論理の応酬が、全編にわたる緊張感を生み出している。

さらに、快楽主義者のサン・フォン伯爵夫人や敬虔なシミアーヌ男爵夫人など、異なる価値観を持つ人物を配置することで、「徳」や「悪」という概念が単純な二元論に留まらないことを示唆している。観客は彼女たちの対話を通じて、自らの道徳観を揺さぶられることになる。

なぜ今、この戯曲なのか――現代社会における上演の意義

デジタル時代における「言葉の演劇」の今日的価値

映像や感覚的な刺激が主流の現代において、本作は徹底して「言葉の力」に依拠する。緻密に構成された台詞の一つひとつが、観客の知性と想像力を刺激し、思考する喜びを与える。これは、情報が瞬時に消費される時代へのアンチテーゼとも言えるだろう。

演出家には、三島が言葉に込めた格調と熱量を損なうことなく、現代の観客に届けるための繊細な手腕が求められる。俳優の肉体を通して発せられる言葉が、いかにして観客の心に響くかが、今回の舞台の成否を分ける重要な要素となる。

未来へ継承される三島文学――今後の展望と可能性

国内での再評価と海外への新たな発信

本作は海外の著名な演出家によっても上演され、世界的に高い評価を得ている。今回の新演出による上演は、その普遍的なテーマ性を国内の若い世代に再認識させ、三島文学への新たな入り口となる可能性を秘めている。

この上演をきっかけに、日本発の優れた文学作品を原作とする演劇が、国内外でさらに注目を集めることが期待される。言葉の力を信じ、人間の内面に深く切り込む作品の価値が、今後ますます重要になっていくだろう。

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